6.分かれ道
いつの間に眠っていたのか、私は物音で目を覚ました。
テレビは点きっぱなしで、ソファーにはしっかりとヨダレのあとがついていた。
玄関の方が煩くて、銀ちゃんが帰って来た事が伺えた。
フラフラっとした足音がこっちへと向かってくる。
私はちゃんと布団で寝ようと一度体を起こしてみたけど、眠いのと……少しだけ昔みたいに布団まで運んで貰えないかな、なんて思ってソファーにまた横になった。
成長したのはもちろん身長だけじゃなかったけど、銀ちゃんなら私を抱えるくらい何て事ないハズ。
目を瞑ってどこか銀ちゃんが来るのをワクワクしながら私は待っていた。
「あれっ」
銀ちゃんは居間の戸を開けると、点きっぱなしのテレビとソファーで眠る私を見つけたらしかった。
「おい、お前さァテレビは消してから寝ろって。電気代もバカになんねぇんだから」
銀ちゃんは眠ってる私へと近付いて来るとソファーの脇にしゃがみ込んだ。
あれ、もしかして運んでくれないアルカ?
確かに銀ちゃんは軽くどころか結構酔ってるようで、お酒の匂いはプンプンするし、足元もおぼつかないようだった。
「神楽ちゃんよォ……」
そう名前を呼ばれただけなら、私は何も考えずに済んだのに。
瞼の向こうの銀ちゃんの気配をとても近くに感じた。
そして、顔に息がかかる。
銀ちゃんの低い声が。
眼差しが。
匂いが。
熱が。
私の頬に触れた唇が――私にその行為の意味を考えさせた。
「…………」
テレビの明かりだけが二人を照らしていて、重なったシルエットが部屋中を覆い隠す。
私は震えそうになる体を隠して、落とされた唇の熱だけをただ感じていた。
どうして?
これって、どういう意味があるの?
母親が子供に対してするようなスキンシップなんだろうか。
定春に私がスリスリするのと同じなんだろうか。
銀ちゃんは私から唇を離すと頭を撫で、そして寝室へ消えて行った。
その夜、銀ちゃんは寝室で、私は固いソファーで天井を眺めながら眠った。
どんな気持ちで毎晩こうしてソファーで眠っていたんだろう。
そして、あの寝室の向こうをどんな思いで見つめていたのか。
私は江戸に戻ってから、初めて銀ちゃんの事を考えた。
明日になればまた、普通に銀ちゃんに接する事が出来るのかな。
私はテレビを消すタイミングを見失って、このまま銀ちゃんと“いつも通り”に戻るタイミングをも見失ってしまいそうだった。
「ご飯、お代わりしないの?」
翌日、いつもの食卓で朝食をとっていた私は昨日の事もあってか、どうも食欲がわかないでいた。
お腹がいっぱいって言うよりは、喉になかなか食べ物が通っていかない。
新八は少し驚いた顔で私を見ていて、差し出している手を一度引っ込めた。
どうするネ。
いつもなら朝から5杯は余裕なのに。
このままだと私の異変に銀ちゃんが気が付いて……昨日の事を私が知ってるってバレてしまう。
いや、昨日の夜の事を銀ちゃんは覚えてないのかもしれない。
だってスゴく酔ってたみたいだし、今も二日酔いの青い顔で結野アナの天気予報をぼーっと観てるだけだし。
私への気まずさや変な緊張感もないし。
だったら、私はこれを忘れる必要があった。
いつも通りの万事屋の朝に、いつも通りの銀ちゃんと新八がいるのに、私がいつも通りじゃなくてどうする。
でも、どうして私は知らないフリをしようとしてるんだろう。
私は優れない体を無視して、新八の隣に置いてある炊飯器を取り上げると、入ってるご飯を全部詰め込んだ。
「えっ!ちょっとォ!神楽ちゃん?」
叫ぶ新八は私が空にした炊飯器を見て呆気にとられていた。
そんな騒動を銀ちゃんは気分が優れないのか、具合いの悪そうな顔で見ていだ。
「うっせぇ。少しは黙れねぇのかよ。頭が割れんだろ……うわぁ、お前どうすんだよ、また吐き気がッッ」
部屋から飛び出していく銀ちゃんの背中を見ていたら、私も何だか胃の辺りがムカムカして来て……
「しんぱっ……吐くアル……」
「えっ!ちょっとォ!神楽ちゃん?」
新八に背中をさすられながら、私は全てを吐き出せたらどんなにすっきりするかと考えていた。
この気分の優れなさ。
昨日の事のせいだけなのかな。
私の背中を擦る新八の手がとても温かくて、私は思わず何もかも打ち明けてしまいそうだった。
「神楽ちゃんも銀さんも。2人とも何かあったんですか?」
「何もないヨ」
すかさず答えた私に新八は余計な事を思わないだろうか。
言葉を出した後にそんな風に思った。
「銀さんはどうせ二日酔いだろうけど、神楽ちゃんは……えっ、もしかして!」
新八は私の背中を擦る手を止めると、少し小さな声で私に尋ねた。
「もしかして、妊娠とかしてないよね?」
私は台所で水道の蛇口を捻り、水を口に含んだ。
それを吐き出せば少し吐き気も気分もマシになった。
それよりも新八のどこまで冗談か分からない質問に、呆れすぎて思わず笑ってしまいそうだった。
「さぁナ」
「待ってよ、もしかして銀さんと……まさかとは思うけど無いよね?」
本気で疑ってるのか新八の眼鏡の奥の瞳が笑っていなかった。
急に何て事を言い出すネ。
私は新八に答えるのもアホくさくなった。
「だって、銀ちゃん……女いるダロ。考えてもの喋れヨ」
新八はそれには黙って何も言わなくなった。
ただ、まだ背中を擦ってくれてるから、私はもう大丈夫と新八の手を止めた。
「ありがとナ」
「もう、本当に食べ過ぎだよ!無理に食べようとするから」
「なぁ、新八」
私がいなかった間のこと。
私には聞く権利があるだろうか。
いくら共に生活してるからって、干渉しちゃいけない部分はあるんだろうけど。
だけど、私は知りたくなっていた。
私がいなかった万事屋の事……銀ちゃんの事を。
「私がいなかった間、銀ちゃん何かあったネ?」
「あぁ、そりゃ勿論。なぁ、新八」
銀ちゃんがトイレからすっきりした顔で出てきた。
そして、新八へ投げ掛けた質問を代わりに私に答えだした。
「浮きに浮いた食費で焼肉何回食いに行ったか。あと廻らねぇスシも食いに行ったしな」
「なんだヨ!私がいなかったのに食欲落ちなかったのかヨ!なんか腹立つアル!」
「一日くらいはご飯も喉に通らなかったよ。やっぱり、神楽ちゃんがいなくなるのは寂しかったからね」
「もっと喉に通るナヨ!せめて一ヶ月は引きずれヨ!」
いつも通りの万事屋。
これで良いんだよね。
私は居間へ戻って行く銀ちゃんがいつもと同じ銀ちゃんなのに、別人みたいに映って見えた。
変だ。
「新八、私帰って来て良かったアルカ……」
その質問に新八はあからさまに辛そうな顔をした。
「そんな悲しい事言わないでよ」
でも、私が帰って来なければ、焼肉だってお寿司だってまだまだ行けたかもしれないし、四合炊いたご飯が一食で消える事もないし、銀ちゃんがソファーで眠る事もないし、昨日訪ねてきた人が帰らないで済んだかもしれない。
私は自分が何をしに帰って来たか分からなくなっていた。
万事屋が私の安息の場所だから?
それとも、ただサドに会いたかったから?
どうしてだろう。
私はもう一杯だけ水をグラスに注ぐと、込み上げてくる感情ごと飲み込んだ。
「神楽、電話」
背後から銀ちゃんの声が聞こえて、こんな朝っぱらから誰が電話を掛けてきたんだろうと首を傾げた。
もしかして、サド?
そんなワケないじゃんって分かっていても期待していたかった。
私は銀ちゃんに誰かを訊ねる前に受話器を耳に充てた。
「もしもし」
「あぁ、グラさん」
電話を掛けて来たのは日輪だった。
サドじゃなくてどこか安心したけれど、やっぱり少しは期待してたのか、胸の端っこがギュッと痛くなった。
「なにかあったアルカ?」
「実はね、お得意様からパーティーの招待状貰ったんだけど、生憎その日は吉原で別のお客さんの誕生会をやる事になっててね」
「ツッキーじゃダメアルカ?」
「あの子はああいうのが苦手でね」
日輪の話を要約すると、私に代わりにパーティーに出席してもらいたいと言うものだった。
依頼として私に電話を掛けてくれたらしく、前払いで依頼料を払うと言ってくれた。
明日も明後日も、ずっと先も特に用事はなかったから、私は二つ返事で承諾した。
「でも、条件があってね」
「何アルカ?仮面でも着けるアルカ?」
「そうじゃなくて、男女二人での出席になっててね。悪いけど誰か誘ってくれないかい」
「誰かって……」
「ほら、こないだ言ってたヒトはどうだろ」
日輪が言う、こないだ言ってた人と言うのは間違いなくサドの事で、私はとても良いチャンスだと思ったと同時に、自分のこの恋心が露呈してしまう危険性を孕んでいる事に気付いた。
誘うなんて、好きですって言ってるようなもんネ。
それにアイツが行ってくれるとも思えない。
「もし、無理だったら晴太もいるから、悪いけどお願いします」
「……うん、分かった」
「なら、明日にでも店に来ておくれ。依頼料を払いたいから」
私は日輪の話に適当に相槌を打つと電話を切った。
どうするネ。
サドを誘うなんて、私に出来るアルカ?
だけど、それ以上にパーティーなんて今まで招待される事がなかったから、私はちゃんと大人として振る舞えるか心配だった。
日輪の代理だし、ドジ踏んでられない。
何よりも、サドを誘うのに失敗は許されなかった。
いつまでも電話の前でボーッとしている私を銀ちゃんは自分の椅子から眺めていた。
私は目を合わせないように顔を伏せると、急いで物置へと引っ込んだ。
新八や銀ちゃんにはこの依頼を黙っておこうと思った。
だって、私が万事屋以外の誰かを誘えば……きっと、それが何を意味するのかバレてしまうから。
なんて嘘を吐こうか、私は今から考えていた。
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