19.女神の泉
私はタクシーの車中、何度も心の中で練習した。
“銀ちゃん、ごめんネ”
どうして、私は謝るのか。
それはやっぱり、銀ちゃんが悲しむと思ってるから。
サドと一泊して来た事は、きっと銀ちゃんを悲しませる。
でも、もしかしたら案外平気かも。
銀ちゃんだっていつも勝手をしてるんだし。
私だって勝手しても良いよネ。たまになら。
私は隣のサドを見た。
特に緊張も何も感じてないように見えた。
この男、肝が座ってるにしても程がある。
朝帰りの上、女の家に謝りに行くって言うのに、こんなにも落ち着いてるのには、何か秘策でもあるからなんだろうかと思って期待してしまう。
「着きました」
そう言われて、重い足取りでタクシーから降りれば、いつもと同じ万事屋なのに、私には大きくそびえる魔王の城に見えた。
私は胸に手を当ててフゥと息を吐くと、万事屋へと伸びる階段を上がって行った。
銀ちゃんはどんな顔で待ってるだろう。
怒ってるかな?どうだろう……。
私は汗ばんだ手で万事屋の玄関の戸を引いた。
「た、ただいまアル」
シーンと静まり返ってる室内は薄暗く、まだ銀ちゃんは起きていないようだった。
サドは首を傾げて私を見ると、私より先にズカズカと室内へと上がり込んだ。
何だろう。
ムッとした室内の淀む空気がいつもの万事屋じゃなく思えた。
居間へ入ればお酒の空き缶やお菓子のゴミ、色んなものが片付けられる事なくテーブルの上に散乱していた。
それを見てサドは言った。
「俺、殴られるかもな」
そう言った割にはちっとも嫌じゃなさそうで、私はトンデモない男に惚れたのかもと今更ながら不安になった。
まだ襖の向こうで眠ってる銀ちゃんに、私は心の中で何度目かの反省を口にした。
“もう、二度としないから”
だから、私は銀ちゃんに許して欲しかった。
万事屋の一員でいさせて欲しかった。
だから、真面目に待っててなんて欲しくなかった。
あの襖の向こうにいて欲しくなかったんだ。
銀ちゃんもどこかで勝手して遊んでくれていたら――
そんな事すら考えてた。
こういう事を考えてる自分がおかしい事は分かってた。
でも、銀ちゃんは受け入れたんだ。
私が帰らなかった事を。サドと過ごす事を。
だから、きっと大丈夫。
誰も傷ついてなんかないから。
「サド、銀ちゃん起きたら自分でちゃんと言うから、だから」
「帰って欲しいか?俺に」
そう言って、サドは私を不安にさせる瞳で見ていた。
誰もそんな言い方してないのに、サドは卑屈になっていた。
きっと、私がそうさせてるんだろう。
だって、さっきから私の頭の中も心の中も銀ちゃんの事でいっぱいだったから。
それが漏れちゃってるんだ。
「そうじゃないヨ。まだ銀ちゃん、起きそうにないアル、だから」
「どうせ今日は非番だ。時間なんて気にしちゃいねーよ」
そう言ったサドを一人居間に残して、私は着替えに物置へと戻った。
ドレスを脱いでいつものチャイナ服を着る。
姿見に映る私は何も変わってないのに、鏡に映るどれもこれもが私のモノじゃなく思えた。
もう、全部変わってしまったのかな。
誰かが私の頬に口付けしたり、抱きしめたり。
それはもう、一切許されない事なんだ。
私の体なのに、全て他の人間が所有権を持っている。
その事実に首を傾げたくなる。
だけど、それを否定してるワケじゃなくて、私だって他の人間がサドに何か印をつけようとすれば怒るだろうし、下手したら私の傘が火を噴く事だってあるかもしれない。
私は着替えて、いつもの髪型に髪をセットすると居間に戻った。
「銀ちゃん、起きないアルナ」
サドはソファーに座りながらテレビを観ていた。
脱ぎっぱなしの上着とネクタイを私は手に取ると、ソファーの背もたれに掛けてあげた。
サドを見れば暑いのかだらしなく、シャツから堂々と胸元が覗いていた。
それをじっと見ていたら、途端に昨夜の事が思い起こされた。
ただ見ているだけなのに心臓がドキドキして、私は急いで目を逸らせた。
サドはそれに気づいて無いらしく、私はホッと胸を撫で下ろすも、サドから一番遠い対角線上のソファーへと腰掛けた。
「旦那、そうとう遅くまで起きてたんだろーな」
「かもナ。私がいなくてノビノビと宴でも開いてたんじゃないアルカ?」
サドは大きくあくびをすると、ソファーへ寝転がった。
いつもには無い景色で、その場所は銀ちゃんの指定席なのに……
サドとの距離は急接近したのに、銀ちゃんとの距離は今までよりずっと離れてしまったように思えた。
「帰ってた?」
寝室と居間を仕切る襖が開いて、寝癖の酷い銀ちゃんが目を擦りながら立っていた。
銀ちゃんは寝ぼけてるのか、それとも何にも思ってないのか。
怒ってなんてなくて、いつもと変わらない銀ちゃんだった。
サドは銀ちゃんが起きた事に気がついて体を起こすと、ソファーにきちんと腰掛けた。
「おはよーごぜーます」
「あぁ、いたの」
銀ちゃんは私の隣に腰掛けるとサドと向き合って座った。
私は隣の銀ちゃんに緊張すると、どのタイミングで謝ろうかとモジモジしていた。
だけど、サドも銀ちゃんも何もいつもと変わりなくて、それが余計に私を息苦しくさせた。
私はサドを見て目で訴えた。
一番隊なら斬りこめよと。
それにサドはハイハイと頷くと、急に銀ちゃんに頭を下げた。
「旦那、12時までに帰せなくて悪かった。だから、チャイナを咎めないでくれ」
銀ちゃんはそれを頭を掻きながら眺めていた。
そして、私を見た。
飛び上がりそうになった私は急いで頭を下げると銀ちゃんに謝った。
「門限破ってごめんアル!」
銀ちゃんはどう思ってるんだろう。
やっぱり、私とサドとの間に変化があった事に気づいてるんだろうか。
前に銀ちゃんは言ってた。
恋する女は雰囲気で分かるって。
だったら、私とサドの雰囲気も何か違うって分かってるんだろうか。
「バカヤロー、頭上げろよ。めんどくせーな」
銀ちゃんは私の頭を小突くとそう言って頭を上げさせた。
サドもその言葉に頭を上げると、銀ちゃんが怒ってない事や何も変化がない事に訝しげな表情をした。
やっぱり、サドも普段と変わらない銀ちゃんをヘンだと思ってるんだ。
銀ちゃんは私達二人を見ずに、テレビに映る結野アナに夢中だった。
もしかして、本当に何も気づいてないのかな?
私とサドがただ一緒の部屋で一晩を過ごしただけだと思ってるのかな。
もし本当に銀ちゃんがそう思っているなら、私は余計に銀ちゃんに対する罪悪感が強くなった。
「じゃあ、俺は帰るんで」
そう言ってサドが立ち上がった。
私も一緒に立ち上がると玄関まで見送りに出た。
「チャイナ……また、連絡する」
「オ、オゥ」
私はぎこちなく返事をすると、明るい陽の下で久々に柔らかく笑うサドを見た。
それに私は改めて思った。
私、コイツに惚れてるって。
玄関の戸が閉まって居間に戻ると、銀ちゃんが散らかったテーブルの上を片付けてた。
本当にいつもと変わらない。
そんな現実に、私は実は本当に何も変わって無いんじゃないかなんて思いだしていた。
……あるワケないのに。
「あ、神楽」
テーブルを拭いていた銀ちゃんが不意に私の名前を呼んだ。
一気に体に緊張が走る。
だけど、どこか聞きなれた声に名前を呼ばれて、喜んでる私もいた。
「なぁに」
出来るだけ普通に返事をしてみた。
何も怪しまれないように。何もバレてしまわないように。
「次、こんな事があったら、テメーのパピーにチクるからな」
「え、えぇ!分かったヨ。もう、勝手しないアル」
そう返事した私を銀ちゃんは、笑いも怒りもせずにただじっと見ていた。
その表情がどんなものよりも怖くて、私は新八が来るまで、定春の散歩に出掛けたのだった。
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