青い炎/土神※
好きなものはどうしようもない。
胸の奥が苦しくって。
力任せに動いたら、少しは和らぐような気がしてたから。
だから、私は奇襲を仕掛けた。
「俺の首か」
そう言って私の喉元へと鋭い刃を向けているトッシーの目に、私は戸惑いの色を見付けた。
恐怖なんて微塵も感じてないその瞳は、私を確実に捕らえ、薄暗い室内でも分かる程に揺れていた。
今夜は大人しくなんてしてられなかった。
満月が高く昇って、胸の鼓動を速めた私は、こっそり万事屋を脱け出した。
意味もなく真選組屯所へと忍び込めば、何も知らずに眠ってる男へ飛び掛かった。
ただ、ギュッとしたかっただけヨ。
本当にそれだけアル。
「理由はなんだ。誰の差し金だ?」
まだ私がタマ取りに来たと思ってるのか、探るような表情は変わらずに私の胸ぐらを掴んだ。
女にも容赦ないのか、それとも私だから容赦ないのか。
どっちでも……今はなんだって良かったから、たとえ喉元の刃先が皮膚にめり込んでしまったって、もう全然構わなかった。
私は両手を伸ばして、トッシーの両頬に手を添える。
「理由はこれで分かるアル」
私はトッシーの顔をこちらへと引き寄せると、何も知らずにそこにある唇に自分の唇を引っ付けた。
初めてのキスは温かかった。
もうずっと引っ付けていたかったけど、それは叶わなくて直ぐに引き剥がされてしまった。
「てッ、てめェ!正気かッ!?」
焦っているトッシーの心音が鮮明に私に伝わってくる。
でも、分かってるネ。
オマエが私に興味ないことも、このキスから何も発展しないことも。
だけど、凹んでいる暇もなく、その問いに私は答える。
「気が触れてるのなんて元からネ」
トッシーの手が私の胸ぐらから離れて、向けられていた刃先は明後日の方を向いた。
そして、トッシーの目は閉じられた。
「あのな…………帰れ」
奇襲を仕掛けた人間に対してそれはないダロ。
本当にこいつは警察なのかと疑ってしまう。
「私、オマエを襲いに来たアル!」
「分かってんだよ、ンな事は」
だったら、早く襟首掴んで放り出せばいいのに。
頭を掻きむしりながら悠長に煙草を吸いだすなんて、それとも私を許容しているアルカ?
ううん、違う。
コイツにとって私が何の脅威にもなってないだけアル。
舐められたもんアルナ。
それは私がやっぱりコイツにとってガキだからネ?
あんまり乙女をお子様扱いしないで欲しい。
だから、私は言った。
手のひらに汗を握りながら。
「キスだけで帰るつもりは……な、なかったアル」
そう言ったら、視線の先のトッシーが口からポトリと煙草を落とした。
だけど、トッシーはすぐに煙草を拾うとまた口に咥え、今度は額に手を当て項垂れた。
きっと私にうんざりしてるんだろう。
それもそうアルナ。
こんなの冷静になって考えれば、すごく危険で馬鹿げてるネ。
いつもの私ならこんなこと絶対やらない。
それを当たり前のようにやってしまった。
そんな事の重大性に気付いたせいか、さっきまでの勢いはなくなり、急激に胸の奥が冷たくなった。
嫌われたかもしれない。
そんな言葉が頭に浮かんだ。
今更何言ってんだヨ。そうなるのは分かってたでしょ?
だから、私は勢いなんてものに身を任したんだ。
だけど、どこか当たって砕けろなんて潔い言葉も持ち合わせていた。
どうせ一生好かれる事がないのなら、いっそ嫌われてしまった方が諦めもつくなんて考えた。
オマエから消せない過去が私にとっての最強の敵なら、私は戦う事を早く放棄してしまいたかった。
勝ち目のない試合なんて辛すぎるアル。
「明日も早ェんだよ」
「寝かせて欲しいアルカ?」
「付き合いきれるかよ」
本当に困っている目の前の顔に、私も何をどうすれば良いか分からなくなった。
だって、キスだけじゃ帰らないなんて言っておきながら、その先なんて何にも知らなかったから。
大人ぶって、ちょっと背伸びした発言をしたけど、私は肝心の中身が追い付いてない事を本当は分かってた。
もう、帰ろう。
どうせ自分がまだまだガキだって分かってるし、これ以上ここで駄々こねていてもただ惨めなだけ。
だから、私は腰をあげると布団の上のトッシーを見下ろした。
「もう私、諦める。何したって苦しいだけネ」
「…………」
「初めてのキス、もらってくれてありがとナ」
もらってくれたって言うよりは、無理矢理に押し付けただけだった。
本当なら“ごめん”って謝るところなんだろうけど、謝ったらそのまま涙が出そうだったから、笑顔でありがとうって言った。
こんなやり方で許されるかどうかは分からないけど、許して欲しい思いには変わらなかった。
私はトッシーに背を向けると、侵入してきた戸に手を掛けた。
だけど、どういうワケかすぐ背後に人の気配を感じ、流れてくる煙草の煙に思わず目を瞑った。
「誰がもらうかよ」
私は大きな手に背中を掴まれると、くるりとトッシーの正面へ体を向けられてしまった。
トッシーは灰皿に煙草を押し付けると、ヤル気のなさそうな面倒臭そうな、誰かに似た表情になった。
「要らねェんだよ、ンな重いもん」
そして、そう言って私を上から睨んだ。
見られてる私は震えてるらしく、もたれている戸がカタカタ音を立てていた。
悔しいのか、悲しいのか。
感情の種類は分からなかったけど、ただ胸が締め付けられるように苦しくて。
「そっくりそのままテメェに返す」
ずしりと両肩にトッシーの手が置かれて、私の頼りない体は崩れてしまいそうだった。
一体どうなってしまったアルカ?
熱くてヤケドしてしまいそうな唇だけが、私に鮮明に教えてくれていた。
「あフッ」
呼吸の仕方も分かんなくて、自分から奇襲なんて仕掛けた癖に頭の中は真っ白になった。
私は必死にすがり付く様に、トッシーの薄い浴衣を握っていた。
だって、もう脚にも腰にもどこにも力が入らなかったから。
立ってるのもやっとで、背をもたれている戸がギィと悲鳴をあげている。
もうダメアル。
重なっていた唇がズレて、途端に体は離ればなれになる。
「こんくらいでフラつくなんざ、テメェはまだガキだな」
戸の隙間から月明かりが洩れて、トッシーを暗闇にはっきりと浮かび上がらせていた。
何故か柔らかい光なのに、トッシーの表情はとても冷たいものに思えた。
私を微塵も好きじゃないからなんだ。
だけど、こうしてキスをくれた。
残酷アル。
でも、それがきっとこの男の鬼と呼ばれる所以なんだろう。
優しくないのに、嫌いになれない。
銀ちゃん、私こんな時どうしたら良いの?
「……帰るアル」
「待て。誰も捕まえねェなんて言ってねーだろ」
そう言ったトッシーは、立ち尽くす私を鋭い目付きで見下ろしている。
殴って気絶でもさせて逃げれば良いのに、実際に追い込まれると手も足も出なかった。
まだ心臓が震えてる。
私、投獄されるアルカ?
一体、何罪になるんだろう。
不法侵入?傷害?窃盗?強盗?
頭がぐるぐるに回り始める。
目の前も回りだす。
「わっ、分かんないアル」
トッシーはあんなに冷たい表情で私を見ていた癖に、私の体を包み込むように優しく抱き締めた。
なんでヨ?分からないネ。
オマエ、私の事なんて好きじゃないダロ?
「何が?こうまでしてんのに分かんねェのかよ」
声がすぐ耳元で聞こえて、体が丸々心臓になってしまったみたいに鼓動で揺れていた。
「これ以上どうやって分からせりゃ良いんだよ」
分かんないはずないネ。
だけど、トッシーの瞳の色が引っ掛かる。
どうしてあんなに冷めた目で見てたアルカ?
トッシーは抱き締めてる私から体を離すと、今度はぐっと顔を近付けた。
やっぱり。
その瞳は私を冷たい色で見つめていた。
氷りそうな程に冷たい色。
私はその答えが知りたくて思わず瞼に手を伸ばした。
「……つい?」
指に触れた肌は熱く火照っていて、視覚との違いに私はハッとする。
そして、ようやく全てに気付いた。
この瞳は青い炎を灯してるんだって。
「私ッ」
「もう、喋るな」
そして、間もなくトッシーの青い炎は私の奥の方へと届いて、あっと言う間に燃え広がった。
全てヤケドしてしまいそう。
髪も指も唇も、首も胸も足も身体中が全部。
だけど、こんなに側に居るのに、胸の苦しみが和らぐ事はなかった。
絶え間なく波が押し寄せてくる。
寧ろどんどん苦しくなっていく。
溺れそう。
ようやく離れた唇に私は呼吸を久々にした。
苦しかったのはこのせいネ?
それを見てトッシーは小さく笑って、そして私の髪に触れた。
たったそれだけの事なのに、私は顔が更に熱くなる。
こんな姿、銀ちゃんや新八には絶対に見せられない。
絶対に笑われて馬鹿にされるアル。
そんな事を考えていたら、トッシーの目の色が、一瞬変わったような気がした。
「えっ?」
「……あ?やっ、今日はもう帰れ。いや、送ってく」
気のせいだったアルカ?
でも、確かに変わったように見えた。
青い静かな炎じゃなく、火の粉飛ばして燃え上がる真っ赤な炎に。
「大丈夫ネ。一人で平気アル」
私はそう言って戸に手をかけると、部屋から出る前に一つだけ、トッシーに話しておきたい事があった。
「諦めるなんて言ったけど、あんなの嘘アル……好きで、オマエのこと好き過ぎて、なんか破裂しちゃいそうアル」
じゃあ。
そう言って、私は背中を見せた。
次に会う時の事とか、これからどうなるかなんて、全く考えられなかった。
だから、やっぱり私はガキなんだ。
「…………トッシー?」
違う。
それで済ますのは、もうやめよう。
だって、背中から私を抱き締めたトッシーも同じように震えていたから。
「そういう事は帰り際に言うな。帰せなくなんだろ」
まだ始まったばかりの恋だけど、きちんと二人でこれからの事を考えていかなきゃ。
それに銀ちゃんや新八にもいつかちゃんと話さなきゃ。
でも、まずはトッシーと。
そう思うも、また私は目を回し始めて、トッシーの腕の中に崩れ落ちていった。
2012/07/17
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