tomboy/銀神3Z:01
膝上数センチの所で揺れるスカートの裾。ミニスカートも悪くないがセーラー服のスカートには、その膝上数センチが一番適している。
3年Z組、略して3Zの担任である坂田銀八は、校舎の2階にある職員室の窓から校庭を横切る女子生徒達をそんな事を思いながら眺めていた。
放課後の茜色に染まるグラウンド。皆が友人達と賑やかに帰宅しようとしていた。その中で一際元気が良く、そのスカートの下にジャージなどと夢のないモノを履いている女子生徒がいた。神楽だ。色気より食い気が勝る彼女は、どこか年齢より幼く見えた。顔には分厚いレンズの入った眼鏡を掛けており、口元にはいつも早弁をするせいか米粒がついている。
銀八はそんな神楽を目に映すと、鼻で笑って窓を閉めた。
学生の内はあれくらい元気でバカの方がいい。
銀八は片目に包帯を巻く尖った少年や、淀んだ目をグラサンで隠す擦れた少年。そんな奴らより、よっぽど健康的だと思っていた。
そんな事を考えながら銀八は、3Zの教室の戸締りをしようと職員室から出た。そして、すっかり静まり返った廊下を歩いていると、ある教室の前で足を止めた。ガタガタと小刻みに何かがぶつかる音がしており、布の擦れる音まで聞こえる。
まさかな?
そうは思うが、自分の想像している事が“起こり得ない”とは断言出来なかった。何故なら過去にも数回、目撃した事があるからだ。
銀八は静かに戸に近付くと、僅かに隙間を開けて教室内を覗き見たのだった。
「オイオイオイ。ガキの癖になんつー体位してんだ……いや、もうちょっとコッチ向いてくんね?」
銀八はブツブツと独り言を呟くと、注意するのは不粋だと教師にあるまじき事を考えていた。
確かに――腹は立つ。だが、自分のクラスの生徒ではなく、教室だってよその教室だ。そして何よりこんな事を見つけたとなれば、また無駄な職員会議と見廻りなんて残業が増える。それならば見て見ない振りが一番で、何よりもあの雰囲気の中、出て行く度胸は無いのであった。
銀八は再び歩き始めると、ポケットから棒付きキャンディーを取り出し、口に咥えた。甘さが口に広がって、どこか気分が落ち着いた。正直、まだムラム……ムシャクシャしている。
何がそんなに苛立たせるのか。それは恋愛を言い訳にして、体を求め合う事が許させると思っているガキ共にだ。惚れた腫れたを口実に、猿のように乗っかるのは如何なものか。
せめて場所を考えろ。
銀八はそんな面白くない事を心で考えながら、3Zの教室の鍵を閉めたのだった。
その日の帰り。銀八は職場である高校を出ると、すぐ近所のコンビニへと乗っていたスクーターを停めた。くたびれた金曜らしさ満載の銀八は、いつものようにコンビニへ入ると、漫画雑誌と缶コーヒーを取りレジへと向かった。そして、適当に煙草を追加して購入すると、コンビニの自動ドアから出た。
「せんせっ!」
すると、そこで出会ったのは1人の女の子であった。先生と呼ぶとこを見れば生徒なのだろうが……
銀八は目を大きく開けると、この女子生徒が誰なのか気が付いたようだった。
「なんだよ、神楽か」
「先生、今帰りアルカ?」
神楽は家に帰って着替えたらしく、シャツの上に薄手のパーカーを羽織り、ショートパンツとスニーカーと言う随分とラフな格好であった。更に普段は頭の上の方でまとめているお団子頭を解いており、肩の下辺りまで髪を下ろしていた。それにあの分厚いレンズの眼鏡を掛けていないのだ。銀八がすぐに気が付かなくとも無理はなかった。
「つか、お前は何? こんな時間にンな格好で出歩いて」
「え? まだ8時ネ。こんなん普通アル」
銀八はどうも神楽のイメージと目の前の神楽が結びつかず、頭が混乱していた。しかし、言われれば神楽も18歳なのだから、普通と言えば普通であった。
「いや、アレだ。フラフラ出歩いてねぇで勉強しろよ」
「プッ、何それ。外だから見栄張って先生ぶってるアルカ?」
神楽は人を小馬鹿にするように笑うと、目を細めて銀八を見ていた。
それには銀八もカチンとは来たが、人目もあるので怒鳴らずにいた。
「でも、心配に及ばないネ。今からトシの家に皆で集まって勉強会アル!」
「あぁ、そうなの。それで――」
銀八はハッとした。今日の夕方に見た光景。ガキとは言え、恋だの愛だのとほざいては、体を引っ付け合うのだ。もしかすると、この神楽も学校から一歩出れば……そうでは無いと言い切れなかった。
コンビニにナニを買いに来た?
銀八は一気に神楽に疑いの目を向けた。惜しげも無く出されている生脚が、とても危険な物に思えた。あんなのを武器に迫れば、大抵の10代男子は落ちるだろう。
銀八は若人の集いなど○○パーティーと変わらないなどと言う偏見を持っている為か、神楽に開催地変更を申し立てた。
「俺ん家で勉強しろ。親御さんの事を考えると、それが一番安心だろ」
すると、神楽は涼しい顔で言った。
「銀ちゃんよりトシの方が信用されてるアル。だから大丈夫ネ」
「はぁああああ? いや、何なのそれ! 初めて聞いたし。つか、アイツなんてマヨネーズジャンキーだからね? シャブってる物がマヨネーズなだけで全然異常者だから!」
神楽は取り乱した銀八に溜息を吐くと、肩をポンと軽く叩いた。
「現実を受け入れたくない気持ちは分かるアル。でも、それを受け入れてこその大人ネ」
「うるせぇ」
ガキだと思っていた神楽に励まされるとは銀八も思っておらず、あまりの情けなさに目に涙を浮かべた。
「けど、お前さ」
そう言うと銀八は神楽の脚をジロリと見た。
「ほら、分かんねー問題とかあるだろ? だから、やっぱり俺ん家でする方が捗るって」
「えー。でも、先生に監視されてたら、自由にやれないアル」
「はっ! 監禁!? いやいや、しねぇよ! 誰がお前を監禁なんて……」
「疲れてるアルナ。監禁なんて誰も言ってないネ? じゃあな、銀ちゃん! また来週アル!」
神楽はそう言うと、いつもの明るい元気な表情でコンビニへと入って行った。
そんな神楽の背中を見ていた銀八は、納得いかない様な顔でスクーターに跨るも家路を急いだのだった。
帰宅してからも、銀八は神楽の事を考えていた。まさか神楽にあんな“年相応”の顔があるとは知らなかったのだ。
「そういやアイツ、兄貴がいたな」
そんな事を考えると、年相応以上に大人びていてもおかしくはないのだ。だが、学校での神楽を見る限りでは元気で明るく、幼い子のようにベタベタと引っ付いてくる生徒と言う印象であった。
しかし、そう考えると色々と今まで銀八がガキだなんだと思っていた行動にも、実は裏があるんじゃないかと疑った。
早弁するのだって昼休みに時間を空けて、何かする為なんじゃないか? 売店前で食べてるパンも、何かと引き換えに買ってもらったんじゃないか? 照れることなく自分の腕にまとわり付くのも、実は男に慣れているからじゃないか?
考えれば考えるほどに銀八は、神楽の何が本当なのか分からなくなっていった。
「もしかして“銀ちゃん臭いアル”ってアレも本当は嘘か?」
銀八は少しだけ救われた気になるも、こんなにも眠れない夜はどれくらい振りだろうと、缶ビールを冷蔵庫から取り出した。寝酒など体には悪いのだが、寝付けない夜にはこれしかないと銀八は無理やりに眠気を呼び出したのだった。
月曜日。いつも通りの覇気のない顔と天パ頭。3Zの教室もいつもと何も変わりはない。あれだけ銀八の頭を悩ませた神楽はと言うと、朝っぱらから既に口元に米粒を付けていた。それを見て銀八は安心すると、机の上に置いていた漫画雑誌で神楽の頭をスパーンと叩いた。
「うぉおおお! 割れたアル!」
確かに少し強めだった。その原因は何か。金曜の夜から何と無く眠れなかった鬱憤のせいもある気がした。
「おい、チャイナ。メスブタみてぇに、汚ねー面してるぜィ」
神楽の隣の席の沖田がそう言えば、神楽がぶちキレて掴みかかるのがお馴染みの光景なのだが、今日はどういうワケか神楽はふぅんと取り合わなかった。それどころか、自分の頬を触って“あっ、ほんとアル”なんて言っていた。
銀八はそれを目撃すると、たち消えたはずの考えが再び頭に浮かぶ。
アイツら土日になんかあったのッ!?
銀八はこの休み中、神楽と沖田の間に何かあったのではないかと勘繰った。たとえば、金曜の勉強会後に2人で帰って云々とか……あの金曜の神楽の格好を見る限り、同じ歳の男子を掻き乱すだけの効力があった。
女子に興味はなさそうだが、メスブタに興味のある沖田だ。もっていかれないとも言い切れない。
銀八は冴えない顔色で教壇に立つと、身が入らないまま授業を始めたのだった。
昼休みに銀八は、屋上の塔屋の影で不良さながら喫煙していた。生徒は立ち入り禁止のここは、日頃から銀八の休憩所と化していた。しかし、それでも何を考えているのか、腹を空かせた神楽がやって来るのだ。
「だーッ! なんなのお前は? 入って来るんじゃねぇよ!」
「ケチ臭いアルナ。少しくらい分けてくれても良いデショ」
神楽はそう言って銀八の着ている白衣のポケットをまさぐると、飴の入っていた袋やガムの包み紙などのゴミを取り出した。
「ちぇっ。なーんも無ェアル」
銀八は煙草を口に咥えると、よっこいしょっと立ち上がった。
「つか、なんでお前に分け与える前提なの? いつもみたいに……ほら、誰かに買ってもらえ」
そう言って銀八はフェンスにもたれかかると、足元でしゃがんでいる神楽に言った。その顔は唇を尖らせており、見るからにつまらなさそうであった。
「そんな顔しても無ェもんは無ェよ」
「そうじゃないアル」
そう言って神楽は立ち上がると銀八の隣に並び、フェンスの向こう側を見た。
「銀ちゃんと半分にするから、美味しく感じるアル」
銀八はその言葉に神楽の横顔を見た。相変わらず分厚いレンズの眼鏡が邪魔して神楽の瞳は見れないが、黙ったままでいる雰囲気から茶化して言ったワケではない事を感じ取った。
「……そんなもんか?」
「うん、そんなもんアル」
神楽は頷くと、眼鏡が軽くずれ落ちたままこちらを向いてニッコリと笑った。そんなのはいつもの事なのに、銀八は変な顔をすると神楽から目を逸らした。
何なの、ホント。
神楽の屈託のない笑顔が、妙に銀八を落ち着かせなかった。あんな顔を見せられたら、肉まんの1つや2つ買ってやりたくなるのだ。きっとこうして神楽は、肉まんや焼きそばパンを手に入れているのだろう。
銀八はガクッと項垂れると、両手を白衣のポケットへ突っ込んだ。結局、自分もそんなあり触れた存在にしか過ぎないのだ。
どういうワケか銀八は、それをものすごく格好悪い事だと思った。神楽の思うツボに落ちる事は、出来れば避けたい。癪なのだ。
銀八は苦笑いを浮かべると神楽の頭を乱暴に撫でた。
「急に何アルカッ! 鼻くそつけたアルナ!?」
「はいはい」
そう言って銀八は煙草を消して屋上を後にすると、神楽がバタバタと走って追いかけて来た。そして、銀八の肩を掴むと大きな声で言った。
「私を汚してタダで済むと思ってるアルカ!」
銀八は誤解を受けかねない神楽の言葉に、急いでその口を手で塞いだのだった。
「神楽ちゃんんッ! 人聞きが悪いんじゃないかなっ!?」
しかし、神楽は銀八の手を引っぺがすと、銀八を睨みつけた。
「じゃあ、何で触ったアルカ?」
そんな尋ね方をされるとは思っておらず、銀八は何て答えようか頭を掻いた。
触りたかったから? 何と無く?
銀八は軽く首を傾げると、神楽の顔色を窺いながら言ってみた。
「まぁ、その……何と無く……」
しかし、神楽の顔は怒ったままだ。
「あー! いや、なんつーか頭を撫でたかったって言うか」
神楽の顔色が少し変わった。やや頬が赤く見える。すると、神楽は誤魔化すように背伸びをして、銀八にグッと顔を近付けた。
「下手くそ。次はもっと優しくしろヨナ」
神楽はそれだけを言うと、走って教室まで帰って行った。
ポツンと廊下に残された銀八は、神楽が見せた表情に何とも言えない気分であった。見てはいけないものを見てしまったような。知ってはいけない秘密を知ったような。だが、そんな事を思いはしたが、改めて考えれば銀八は神楽の事を何も知らないのであった。それは恥ずかしい程の思い込みだ。
「あああ! 何なの俺は!」
そんな自分が痛すぎると、銀八は一人廊下で頭を掻きむしるのだった。
「俺としてはやっぱりと言うか、お前んとこのハム子? アイツがそそるんだよ」
B専として有名な服部先生は、職員室でそんな下品な言葉を口にしていた。それを聞かされている向かいのデスクの銀八は、全く興味がないと言った顔をしていた。
「で、坂田先生はどうだ? いるんだろ? 1人くらい」
「え? ごめん。聞いてなかった。ボラギノールを入れられたい子? 俺、痔じゃねーから分かんねぇわ」
「ちげェよ! そう言う話しは今してねぇだろ!」
正直、この手の話は嫌いであった。誰がどこで聞いているか分かったもんじゃない。銀八は適当にはぐらかすと、何も答えないでいた。
「まぁ、でもアチラさん達は、教師なんかには全く興味ねぇからな。小便臭いガキと戯れて満足してるから」
銀八はそうっすねと相槌を打つと、パソコンへの成績の入力に忙しそうであった。
「あっ、そういや最近、放課後に盛ってるバカがいるなんて聞いたが、知ってたか?」
銀八は先週の放課後に見た光景を思い出した。知っているも何も目撃者なのだ。だが、やはり面倒は避けようと知らないと答えたのだった。
「それにしても良いよな。好きだから引っ付いて、好きだからハメて。後先考えず何でも出来てさ。俺くらいになると――」
銀八は仕事もそこそこにパソコンをシャットダウンさせると、帰る用意をした。ぐだぐだとした長話になるのは目に見えていた。そうなると面倒な事に、最後は深夜の駅で酔っ払った服部を抱えて、途方に暮れるしかないのだ。それは勘弁願うと銀八は、白衣を脱いでスーツの上着を羽織ると鞄を持った。
「じゃあ、お先でーす」
「えっ! もう帰るのッ!?」
銀八は無表情で頷くと職員室を出て、暗くなり始める廊下を歩いた。
窓ガラスに映り込む自分の顔は冴えなく見えて、いつからか頭の中を支配し出している1人の少女に苦しんでいた。神楽のことだ。いくら考えたくないと思っても、そう思ったそばから頭に顔が浮かんで来ては、ニッコリと笑いかけるのだ。そして、それをようやくなんとか掻き消すことに成功したと思っても、今度は教室で視界に入って来る。もう胸焼け状態だった。
銀八は校舎を出てスクーターに跨ると、早く家に帰って風呂に浸かろうと思っていた。肌にへばりつくような初夏の風と匂いがやや不愉快で、それを剥がす事が出来れば、多少は気分も晴れるのではないかと考えていた。
なのに、予定は狂わされた。
「遅いアル! 何してたネ?」
自分のアパートのドアの前で髪は乱れ、あちこち擦り傷だらけの神楽がしゃがんでいた。
「お前どしたの? つか、大丈夫か?」
銀八もさすがに神楽の姿にギョっとすると、神楽は泣きはらしたような赤い目で銀八を見上げた。
「バカ兄貴と喧嘩した。あんな家、一生帰ってやんねぇアル!」
家出か。
銀八は大げさに溜息を吐くと、スーツのポケットから煙草を取り出して火をつけた。
「それで先生の家に来たってワケね。ふーん」
銀八は少し休みたいと、お前以外の事を考えさせてくれと思っていた。なのに、全くその隙を与えてもらえないのだ。
「だから、銀ちゃん。しばらくここに泊めてヨ。この通りアル」
神楽はそう言うと立ち上がって頭を下げたが、銀八はその頭に手を置くとゆっくり摩った。
「ダーメ。ダメに決まってんだろ? だって先生は土方くんより信用がねぇんだから、テメェなんか泊まらせた日にゃクビだ、クビ」
そう言って銀八はアパートのドアを開けると、神楽を外に残して部屋へ入ろうとした。しかし、神楽は閉まろうとするドアの隙間に足を挟み、無理矢理にこじ開けた。
「でも、銀ちゃんしか居ないアル。私、他に行くとこないネ」
だが、銀八も負けてはいなかった。神楽を押し戻すと、ドアを閉めようとドアノブを必死に引いた。
「それなら兄貴と仲直りして家に戻れ! それか土方くんのお宅にでも、マヨネーズ持参して入れてもらえ!」
「どっちも無理アル! それに変な噂とか立ったらどうするネ! だから銀ちゃんに頭下げてんダロ!」
どちらも譲る気はなさそうであった。両者一歩も引かずと言った感じで、10分程こんなやり取りを続けた。だが、さすがに疲れて来たのか、神楽のドアノブを引っ張る力が弱くなった。
「つか、先生と噂なっちゃうのは良いの?」
隙を見て銀八がそんな事を尋ねると、ドアの隙間から覗いていた神楽の顔が僅かに固まった。
「……別に。ただの噂だし、信じる人なんていなさそうアル!」
「お前さ、甘いわ。噂になるくらいなら、実際に手ェ出しとくのが男ってもんだろ」
その言葉に神楽は明らかに驚くと、ついにその手をドアノブから離したのだった。銀八はその隙にドアの鍵を閉めると、ようやく玄関の床に腰を下ろした。
初めからセクハラ発言でビビらせれば良かったか。
銀八は額の汗を手の甲で拭うと、扉の向こうにいるであろう神楽に言った。
「そんな覚悟もねぇのに、泊まらせろなんて言うガキに用はねーよ」
すると、玄関のドアが思いっきり、勢い良く蹴られたのだった。
「覚悟が無いなんて勝手に決めつけるなゴルァ! もう良いアル! 今夜はここで寝てやるネ!」
そんな言葉が聞こえてくると、あっと言う間に辺りは静けさを取り戻した。
神楽の迫力に眼鏡をずらしたまま座り込んでいた銀八は、四つん這いになると、恐る恐るドアを開けて隙間から外を覗き見た。見れば本当に神楽はそこに座っていて、鞄を抱いて目を瞑っていた。そして、やけに大きな音で腹の虫を鳴かせている。
銀八は面倒臭そうに立ち上がると、玄関のドアを大きく開け放った。
「さてと、チャーハンでも作るか。材料的には2人分くらいは……余裕だな」
大きな独り言を呟くと、グッと背伸びをした。すると、神楽がこちらを恨めしそうに見ており、銀八は相変わらずの表情で見下ろした。
「腹グゥグゥ鳴らしてる色気の無ェ女なんて、襲ったりしねぇよ。つか、俺が興味あんのは結野アナのケツのあ……」
その辺りで銀八の顔面に鞄が飛んで来ると、神楽はお邪魔しますと靴を揃えて脱いだ。そして、洗面所へ行くと、兄貴と揉み合って怪我をしたところを洗っているようだった。
銀八はそんな神楽にタオルを渡してやると、今度は本当に優しく頭を撫でてやった。
「原因が何か知らねぇが、飯食ったら仲直りしてこい。それが出来てこそ大人だろ」
「こんな時だけ大人扱いすんなヨ。それよりチャーハン大盛りでお願いネ!」
さっきまでのしかめっ面が嘘のように、神楽の顔には満面の笑みがあった。それは銀八の頭の中に浮かぶ神楽の顔と同じで、想像では何てことはないのに、実際に目にすると何故だか目を逸らせたくなった。
「……少しは遠慮をしろ」
銀八はそう言って台所へと行くと、どれくらいか振りに2人分の食事を作るのだった。
誰かと一緒に食事をするなど飲みに出る以外にほぼない銀八は、神楽と会話をしながら食べるチャーハンもなかなかオツなものだと思っていた。
「銀ちゃん、ごっさ美味いアル! 毎日作って欲しいネ」
「そんな褒めたって泊めねーからな」
銀八は空になった皿を台所へと持って行くと、いつもの癖で缶ビールを冷蔵庫から取り出した。そして、その場で一口飲むと、まだ家には生徒が居るのにと、習慣とは恐ろしいものだと頭を振った。
「なぁ、銀ちゃん」
ようやく食べ終わった神楽が皿をこちらへ運んで来ると、立ったままビールを飲んでいる銀八に話しかけた。
「あ? なんだよ。泊まらせねぇって言ってんだろ」
「違うアル」
神楽は皿を流しで洗い始めると、銀八に背中を見せながら話した。
「この前言ったこと、あんまり気にすんなヨ」
神楽の毒舌に常にさらされている銀八は、一体いつの何の話しかと思い出そうとしていた。
そんな銀八に気付いたのか、神楽はこちらをチラリと見ると皿を洗っていた手を止めた。
「もう忘れたアルカ? 根に持ってた癖に。トシの方が銀ちゃんよりも信用されてるって話ネ」
銀八は冷蔵庫にもたれると、缶ビールに口をつけた。
気にするなと言われても、事実が変わらない以上気分は晴れない。どうせ神楽が気遣ったフリをするのも、泊まらせて欲しさ故なんだろうと銀八は鼻で笑った。
「だーかーらー。お前さァ、そんな事言ったって泊めねーつってんだろ?」
「別にそう思うのは勝手だけど……確かに皆、トシの方が銀ちゃんよりも信用出来るって言うアル。でも、それは皆の話アル」
「何回言うのッ! 頼むからそれ以上、銀さんの心削らないでくれるッ! 追い打ちなの? トドメなのッ! なんなの一体?」
銀八がややヒステリックに叫べば、神楽は再び皿を洗い出した。そして、水道から流れる水の音に紛れて言った。
「私はそう思ってないネ。皆はそうかも知れないけど、私は……」
銀八はその言葉を聞こえない振りをした。どんな言葉を返せば良いのかも、どんな態度でいれば良いのかも、何一つ分からなかったからだ。何故なら今は教室ではなく自宅にいて、いつもの“ガッコのセンセ”とは程遠い、ほろ酔いの“オっさん”なのだ。
銀八は中途半端に残した缶ビールを冷蔵庫へ戻すと、リビングへと戻った。そして、ソファーに座ると大して見たくもないテレビをつけた。何かで紛らわせないと、気分が落ち着かない。チャーハンの食べ過ぎでも、酒のせいでもない。確実にこれは――神楽のせいなのだ。
銀八は頭を抱えそうになった。
ただの生徒の1人。それは分かっているのだが、自分に気のあるような素振りを見せられると気掛かりになって仕方ないのだ。
“他の誰が信用しなくても、私はあなたを信用している”
なんであんな事を言うのか。
言われた銀八がどう思うのかなど、全く考えていないような神楽の無神経さ。銀八はそれをひどく嫌った。
これだからガキは。
そんな言葉が思わず口をついて出そうになる。
そこへ銀八の元に、皿を洗い終えた神楽がやって来た。
「世話になったアルナ。もし、また多く作り過ぎたら、食べてやっても良いアルヨ! その時は連絡してネ。銀ちゃん」
神楽は笑ってそう言うと、大きな鞄を持って玄関へと向かった。銀八はその後ろ姿を横目で見ると、面倒臭そうな顔をした。そしてようやく思い腰を上げると、神楽を見送りに玄関へと向かったのだった。
「何が“食べてやっても良い”だ!」
ったくよォ、人をこんなにも悩ませやがって。
銀八は顔を歪めると靴を履いている神楽を見下ろしていた。その見えている背中は見るからに寂しそうで、引き留めてくれないかなと言っているように映った。
考え過ぎだろ。
銀八は掛けている眼鏡を上げて瞼を擦ると、靴を履き終えた神楽がこっちを向いた。
「じゃあナ! せんせっ!」
神楽はいつもの明るい顔でそう言うと、銀八の部屋のドアから呆気無く出て行ってしまった。
パタンと閉まったドアが銀八をこの部屋に閉じ込めてしまうと、先ほどまで自分以外の誰かが居た事が嘘の様に静かになった。
残念だと心が漏らす。それは何に対してか。分かり切っている。神楽が帰ってしまった事だ。
銀八は寂しいのは俺じゃねぇかと、自分を嘲笑った。すると、突然ドアが開かれ、再び神楽が部屋へ入って来た。
「忘れ物したアル!」
「か、神楽ァ!」
思わず頬を緩めた銀八は神楽が戻って来た喜びを、まるで飼い犬のように分かりやすく表した。それを見た神楽は冷めた表情をすると、落ち着いた声で言い放った。
「なにそれ、キモいアル」
その言葉に我に返った銀八は、うるせェと怒鳴るとリビングへと引っ込んだ。
屈辱。
その2文字が頭を埋め尽くしている銀八は、ソファーに倒れ込むとクッションに顔を押し付けた。
思わず尻尾を振った馬鹿な自分が情けなかったのだ。いくら独り身とは言え、寂しさの紛らわせ方は心得ていた。それなのに自分よりずっと年下の、ましてや生徒である神楽に救いを求めるなど、全くどうかしている。なのに、心は疼いていた。もっとお喋りしていたいなどと。
銀八は顔を上げると、ようやく着ていたスーツの上着とネクタイを外した。
やっぱり早く寝てしまおう。
その答えに行き着いた銀八は、まだ忘れ物を探している神楽を放っておくと、風呂場へと向かったのだった。
風呂から上がれば用意していた寝間着に着替え、濡れた髪をきっちり乾かすと、銀八は眼鏡も掛けずに脱衣所から出た。
神楽は忘れ物が見つかったのか既に帰ったらしく、室内は静まり返っていた。
「つか、アイツ何忘れたの?」
銀八はそんな独り言を呟くと、台所の冷蔵庫からいちご牛乳を取り出した。そして、それに直接口をつけて飲むと、リビングのソファーに横たわる塊を見つけたのだった。
一気に顔が青ざめる。湯上りにも拘らず、軽い寒気を感じていた。
まさかな。
眼鏡を脱衣所に置いて来た銀八は目を凝らすと、ソファーの上の塊を必死で睨みつけた。明るい橙色と制服のスカートのような紺色。そして、大半を埋め尽くす白色。
銀八は恐る恐る近付くと、その塊が想像していた物と同一であると知ったのだった。
「オィイイイ! どーなってんだよ! 意味わかんねェよ!!」
銀八はテーブルに牛乳パックを置くと、ソファーの上に横たわる眠り姫の体を大きく揺さぶった。
「起きろ! 起きろ!」
「うーん」
神楽は不機嫌そうな顔になると、目を開ける事なく銀八の顔面に拳を繰り出したのだった。そのせいで後方に3回転ほどした銀八は、赤い顔を押さえながら再度神楽の耳元で大声を出した。
「オイ! てめぇ、起きてんだろッ! コラ! 神楽ッ!」
だが、神楽に起きる気配は見当たらない。さすがにこめかみに青筋を浮かべた銀八は、神楽の頬を軽く叩いた。
「今すぐその狸寝入りやめねーと、外に放り出すからなァア!」
しかし、やはり神楽はその目を開ける事なく、幸せそうな寝顔を晒している。
銀八はそんな神楽の傍にしゃがみ込むと、どうすんのと胡座をかいた。そして、一旦落ち着く為に煙草を吸うと、眼鏡を外している神楽の素顔に目をやった。改めて見れば綺麗な顔をしており、黙っていれば何と言うか――子憎たらしさを覚えた。
一人前に人の胸を揺さぶりやがって。
銀八は高揚している自分の気持ちに気が付いていた。それは女子生徒と2人っきりだからだと言う理由であれば大問題で、しかしそうではなかった。問題はもっと深刻で重大であったのだ。
銀八は頭を振った。
教師と生徒などと言う垣根を越えて、ただ女としての神楽の可愛さを感じているのだ。今も尚それは継続していて、無防備に眠る神楽に歯がゆさと苛立ちと喜びを覚えると、丸みを帯びた額にデコピンをしてやりたくなった。
「お前さ、ズルいよな。本当、ズルいわ」
手はもちろん、足も出ない。神楽を外に放り出すことなんて出来ない銀八は、ソファーに眠る神楽に薄い布団を掛けてやると、自分は寝室へと引っ込んだ。
しかし、安眠には程遠い。頭を埋め尽くすのは、やはり神楽の事ばかりなのだ。
男の家で寝ると言うことが、どれほど危険なのか分かっているのだろうか。もしかするとクラスの男子の家でもこんな事を……しかし、神楽の言葉を思い出す。どこか恥ずかしそうに、小さな声で言ったあの言葉を。
“他の誰が信用しなくても、私はあなたを信用している”
ハッキリとそう口にしたわけではないが、神楽の口振りはそれと同等であった。
ぶっ飛ばされて、キモいなどと言われて腹も立つが、時折見せる神楽の優しさに擽ったさを感じた。だが、それは非常に心地よく、銀八の目は益々神楽から離れなくなるのだ。
布団に入り薄暗い天井を見つめている銀八は、柄にもなくそんな事を考えているなど気持ちが悪いなどと自覚していたが、もう今更その考えを止める事は出来ないのだった。
そうして夜は更けて行き、眠れないなりにも睡眠をとった銀八は、目覚まし時計の音で目を覚ました。
「アイツ、帰ったのか?」
リビングに行けば神楽の姿は見当たらず、テーブルの上に1枚のメモが置いてあった。
拙い日本語で頑張って書かれた文字がそこにはあり、銀八への感謝が記されていた。
「またアイツ、自分の名前間違えてんじゃねーか。バカだね」
だが、銀八の頬は緩み、どこか嬉しそうに見える。いや、実際は喜んでいた。神楽が一生懸命に書いたその気持ちが、素直に嬉しかったのだ。
「あっ! コラ! まだ見ちゃダメアル!」
リビングと廊下を仕切るドアが開かれたと思ったら、どういうわけかバスタオル姿の神楽がそこに立っていたのだ。
「は、はぁ!? つか、お前なんで人んちの風呂に入ってんのッ!?」
神楽は銀時の手から急いでメモを取り上げると、クシャクシャに丸めて投げ捨ててしまった。
「い、今の見ちゃったアルカ?」
神楽は真っ赤な顔で恥ずかしがっているようだったが、銀八としては今のお前の格好の方が恥ずかしいと、神楽を廊下へ押しやった。
「良いから着替えて来い。朝飯作ってやるからッ!」
銀八のその言葉に神楽は跳ねて喜ぶと、銀八にしがみついた。
「銀ちゃん最高アル!」
「だぁあああ! 離れろ! 離れろ! 邪魔なんだよ、お前は!」
結局、銀八は神楽を泊まらせた上に朝食まで用意をすると言う、まんまと神楽の思うツボにハマっていた。
見返りなんて何もない。報酬など期待も出来ない。だが、銀八は無邪気に喜んで跳ね回る神楽に、乾いていた胸の奥が潤うのを感じていた。気分は悪くない、それどころか自然と顔が緩む。激しく胸を突き動かす衝動こそないが、張り合いのなかった日々が急に色鮮やかに見えたのだ。
「ねぇ、銀ちゃんッ!」
そう言って再び神楽が銀八の胸にしがみついた時だった。パサリと布の擦れる音がして、足下に何かが落ちた。
それが一体何なのか。銀八は見当がついていた。
「か、神楽ちゃんんッ?」
「こっち見んなヨ! 見たらその目ん玉、引き千切ってやるからナッ!」
それは勘弁してくれ。
銀八は顔を青ざめると、動けずに固まっていた。先ほどまで感じていた心地よさなど、とおの昔に逃げ去っていた。今取り巻くのはただならぬ緊張感と、一刻も早くどうにかしなければと言う焦りであった。
「と、とととりあえず、一回落ち着こう。なっ? ホラ、深呼吸して空気を吸って、酸素を吸う。いいな?」
「お前が落ち着けヨ! 吸ってばっかりダロ!」
そう言われればどうりで息苦しい筈だと、銀八は額に汗を掻いた。
ガキの裸くらいなんだよ。
なのに、自分の体にしがみつき胸に顔を埋める神楽に、鼓動はスプリンターの様に全身を駆け抜けていた。
「つか、学校遅れんだろ。目瞑っててやるからタオルを拾え!」
すると神楽の頭が持ち上がり、体を銀八に引っ付けたままこちらを見た。
「本当は見たいネ? 触りたいアルカ?」
思わず神楽の顔を見た銀八は、目に入って来る神楽の顔以外の白い体に頬を染めた。
「は、はァ!? 誰がお前の――」
「銀ちゃんなら……良いアルヨ」
普段よりずっと大人びて聞こえる神楽の声と、どこか艶っぽく見えるその表情。銀八を勘違いさせるだけの要素は備わっていた。
こんな神楽の言動に銀八の心はひどく掻き乱された。
コイツ、俺の事が好きなのか?
ただただ、そんな疑問が頭に浮かぶ。しかし、本当にそうだったとして何かあるわけではない。教師と生徒なのだ。芽生えて良いのは師弟愛だけである。なのに、肌を晒す神楽に自分の中の男が呼び覚まされ、つい尋ねてみたくなるのだ。俺の事が好きなのか――と。
「神楽」
名前を呼べば、それに反して神楽はクスクス笑った。
「なーんてナ。ちょっとドキッとしたアルカ?」
そこでようやく神楽は満面の笑みを作った。いつもの無邪気な子供臭い表情を。
銀八は全身の力が一気に抜けた。今にも膝から崩れ落ちそうで、思わず目の前の神楽を抱き締めしがみついた。
「はっ? 銀ちゃん?」
一瞬、視界が霞がかったが、どうにか意識を取り戻すと、先程より心に受けた衝撃が和らいだようだ。すると、ふつふつと神楽に対する怒りが湧き上がって来た。
人の気持ちを弄びやがって!
しかし、後から冷静になって考えれば神楽の口からそんな大人な台詞が出る事など、とても怪しいのだ。どうして疑ってかかれなかったのか。神楽が自分に惚れていると、信じ込みたかったのか?
バカげてる。
「お前さ、大人をからかって、ただで済むと思ってんのか?」
銀八は溜め息混じりに言った。
何か仕返しをしてやりたいが、今は方法も時間も何もかもが足りなかった。たとえば、反対にこっちもビビらしてやるとか……しかし犯罪の匂いしかしないのであった。
理不尽だ。
銀八は俺が一体何をしたと、神楽に心臓を鷲掴まれては離される行為に苦しんでいた。冗談だと分かった今もまだ胸が痛い。
銀八は目を閉じて神楽を離すと背中を見せた。
「ほら、今の内に着替えて来い」
「そうアルナ」
神楽がタオルを再度巻き直す音が聞こえる、そしてペタペタと足音がして――銀八の背中に熱が広がる。
「ただで済むなんて……そんなの、全然思ってないアル」
そんな事を言って背中に抱きつく神楽に、銀八はいよいよ目眩を起こすのだった。
もう終わりにしてくれと。
その言葉通り、銀八の体は後方へと反り返り床に頭から落とされた。綺麗に決まったジャーマンスープレックス。
「誰が抱き締めて良いって言ったネッ! お返しアルッ!」
銀八は何も考えられなかった。どうしてこんな結末を迎えただとか、今は一体何時なんだとか。ただ、後頭部から背中に広がる痛みに顔を歪めていた。
なんなの、この子はと。
どうにかギリギリで学校に間に合った2人だったが、朝っぱらから機嫌の悪い銀八は、神楽の顔も見たくないと3Zの授業をボイコットしたのだった。
逃げるように行き着いた屋上で、着ている白衣のポケットから棒付きキャンディーを取り出すと舐めもせずに噛み砕いた。
イライラする。
そんな感情を前面に押し出すと、次は忙しなく煙草を口に咥えた。
神楽にプロレス技を決められた事にも苛立っていたのだが、何よりもその心に付けられた傷の方が、銀八には痛みが強かった。だが、神楽は別に銀八のことを好きだとは一度も言っていないのだ。それはそうなのだが、勘違いさせるような言動に問題があると、銀八は頭を掻きむしった。
まさか銀八がこんな事になっているなどと神楽は想像もせずに、今頃銀八が作った弁当を食べている事だろう。タコ様ウインナーを隣の席の沖田にこれ見よがしに見せながら。
銀八はフェンスの向こうに煙を吐き出すと、そんな神楽を想像して小さく笑った。やっぱりそれが神楽らしいと、怒る気にはなれなかったのだ。
「ほんっと、甘いわ」
そんな言葉をボソリと呟くと、屋上へと上がるドアが乱暴に開いた。
神楽だ。
その動作から分かるように、神楽は怒っているようだった。
謝りに来たんじゃねぇの?
銀八は煙草を咥え、白衣のポケットに手を突っ込んだままコチラへと向かって来る神楽を見つめていた。
「ぎんっ! ちゃんっ!」
神楽は銀八の目の前まで迫ると、分厚い眼鏡のレンズ越しに銀八を睨みつけた。
「げほ、げほっ!」
しかし、神楽は煙草の煙に咳き込むと、銀八の頬を殴って煙草をぶっ飛ばした。
「このバカちんがァア! こんな不良息子に育てた覚えはないヨ! お母さんは!」
「誰が不良息子だ! 家出娘に言われたくねぇよッ!」
しかし、神楽は怖い顔で銀八を睨みつけている。何か言いたいことがあるようで、銀八は軽く首を傾げた。
「なに? 謝る気になった?」
「違うアル」
神楽はそう言うと、嬉しそうに満面の笑みを見せた。さっきまで怒っていたのが嘘のようだ。
「銀ちゃんのお弁当美味しかったネ! 毎日作ってヨ!」
そんな事を言われて喜ばないわけがない。だが、銀八は悔しいからと神楽の頭を軽く叩いた。
「俺の弁当を毎日食えんのは、俺の嫁になった女だけって決めてんの」
すると、神楽は唇を尖らせた。
「ケチ臭いアルナ! そう言うことなら仕方ないネ」
神楽は怖い顔で銀八の白衣の襟を強く掴んだ。
またぶん投げられる!?
銀八は思わず目を瞑ると、神楽の攻撃に身構えた。しかし、その体に痛みを感じることはなく、代わりに銀八の唇に何かが引っ付いた。柔らかく熱い何かが。
銀八がそっと目を開けると、神楽の顔がすぐ前にあり、唇が引っ付いていたのだった。
理由は分からない、意味も分からない。必要性も意図も分からない。それでも銀八は聞けなかった。俺の事が好きなのか――とは。
唇がゆっくり離れると、神楽は言った。
「これで私を嫁にしなかったら、罰として毎日弁当作ってもらうからナ!」
ほぼ脅迫であった。
銀八はそんな神楽の両頬を片手で挟んでやると、眉間にシワを寄せて言ったのだった。
「俺の気も知らねぇで、勝手ばかりしやがって。お前こそ責任取れよコノヤロー」
神楽はその言葉の意味をあまり分かっていないのか、銀八から離れると特に何を言うわけでもなく屋上から出て行ってしまった。
残された銀八はもう驚きもしなかった。神楽のやることなすことに振り回されて、それでも嫌じゃない自分がいるのだ。どうやったって神楽を嫌いになれない。それは自分の弱みだと、銀八は苦笑いを浮かべるのだった。
以下、あとがき。
リクエストありがとうございました。
自分なりの無垢で明るいけど、それ故銀八を悩ませる神楽を、
何やっても結局は神楽に勝てない銀八目線で話を作ってみました。
ご希望に添えているかは分かりませんが、読んでもらえれば嬉しく思います。
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