三つ巴:06
【土方十四郎:12】
土方は今週の見廻り当番である沖田へ、新しく変わった見廻りルートをまだ伝えていない事を思い出した。この授業が終われば放課で、その放課後を使って風紀委員の見廻り当番は校舎内で校則違反行為が行われてはいないか見廻りをするのだ。
「まさか、あいつ帰ったわけじゃねェだろうな」
授業の終わった雑然とする教室内を見回すも、既に沖田の姿が見当たらない。舌打ちを鳴らした土方は仕方が無いと鞄を持つと、沖田の代わりに見廻りをする事にしたのだった。
教室を出て廊下を歩きながら土方は、頭に浮かぶ教室の映像に近藤の姿がなかったことに気が付いた。
総悟を避けて早めに帰ったか。
しかし今日はそれで済むとして、明日から近藤は沖田とどう接するつもりなのか。あまり拗れなければ良いなと思いながら、土方は放課後の校舎内を見廻った。
どの教室に残る生徒にも問題行動は見当たらず、土方はもう良い頃合いだろうと帰る事にした。そうして廊下を歩いていると、前から体育教師である松平片栗虎がやって来た。
「おう、トシ。良いところに来た。てめぇにオジサンが一つ任務を与えてやる」
嫌な予感がした。任務などと言って恰好良くは言っているが、どうせただのパシリなのだ。見れば松平の両脇にはバスケットボールが一つずつ抱えられていて、それをどうにかして来て欲しい事が窺えた。
「……分かった。ボールを戻してくれば良いんだろ?」
「オジサン、この後PTAと大事な会議があってよ。ってことで頼んだぞ、トシ」
ボールを投げて寄越した松平が階段を駆け下りて行くのを見計らって、土方は舌打ちをしたのだった。
「ただの飲み会だろ」
しかし、松平の頼みを断れない自分が悪いのだと、土方は仕方がなく体育倉庫へと向かうのだった。
体育倉庫は体育館の中にあるのだが、既に体育館は練習を終えた女子バレー部員が数人残っているだけであった。しかし、その生徒ももう帰るらしく土方と入れ替わるように体育館から出て行ってしまった。土方はつきっぱなしになっている体育館の照明を落とすと、体育館の一角にある体育倉庫へと向った。
鉄で出来た大きく分厚い引き戸。土方はそのドアを開ける為に鞄とボールを置くと、自分が通る隙間分だけ引いて開けた。中は薄暗く不気味な空間が広がっていた。少々尻込みしてしまう。だが、土方はボールを持つと体育倉庫の中へと足を一歩踏み入れた。
埃っぽい臭いと淀んだ空気。思わず顔をしかめるとボールを大きなカゴの中へしまった。そうして体育倉庫から出ようとして――――土方は異変に気付いたのだった。暗くてあまりよくは見えないが、奥にある積み上げられたマットの上に何かがいるのだ。
白い塊?
土方は目を凝らすもよく見えなかった。大して陽も射さず寒いくらいなのだが額から首へと汗が伝っていく。心霊だ超常現象だという類のものを信じるタイプではなかったが、目に映る白い塊は紛れもなく存在しているのであった。これが何かを確かめるべきか否か。そうして突っ立っているも好奇心は僅かに擽られる。
んなワケあるか。どうせバレーボールか何かだろう。
そう思い込むことにして、土方は確かめるのをやめにした。すると突然、背後で大きな物音がした。見れば体育倉庫の戸がピッタリとしまっているのだ。一体何が起こったのか。把握するまで時間が掛かった。
そうして土方が何も出来ずに突っ立っていると、今度は体育倉庫の奥から物音が聞こえた。
「ぶへっくしょん!」
それは物音と言うよりは人の発する声で、しかもその声に聞き覚えがあったのだ。
「誰だ!」
土方は体育倉庫の戸を背にして問いかけると、モゾモゾと体を動かした白い塊が置いてある跳び箱の上へと移動した。
天井付近にある窓から夕陽が射し込み、その白い塊が一気に茜色に染まった。そうして土方はその正体にようやく気が付いたのだった――――神楽だ。
「お前、トシ?」
神楽はそう言って跳び箱から下りると、土方の正面に立った。
「何してるアルカ? こんなトコで」
「てめェが言うか」
目が悪いのか神楽はいやに近い距離まで詰めて来ると、土方は戸にぴたりと背中を付けた。
「俺はただ松平のとっつぁんに頼まれてボールを戻しに来ただけだ」
土方はそう言って戸を開けようと手に力を入れたが、鉄の引き戸はピクリとも動かなかった。
「どうなってやがる」
今度は全体重を掛けて思いっきり引いてみたが、やはり戸は開きそうにないのだった。
「何やってるアルカ?」
「戸が開かねェ」
そこでようやく土方は認識したのだった。閉じ込められてしまったんだと。何故こんなことになったのか、おおよそはこうだ。女子バレー部員が戸締りをしに戻って来たのだが、先ほど土方が照明を落としてしまったせいで体育倉庫に人がいることに気付かなかったのだ。そしてそのまま鍵が掛けられて、土方とどういうわけかここにいた神楽が閉じ込められてしまったのだ。
「閉じ込められたアルカ!? ちょっと代われヨ!」
そう言って神楽は土方の場所を奪うと、分厚い鉄の戸に手をかけた。
「くぬぅ!」
しかしどうやったって開かない。神楽は諦めたのか戸から手を離した。
「こうなったら窓アル」
そう言って再び神楽は跳び箱の上に上ったが、窓までは距離があり手が届きそうにない。
「とりあえず叫んで助けを呼ぶしかねェだろ!」
そう言うと土方は戸をドンドン叩きながら声を上げた。
「おーい! 誰かいねェのかッッ!」
しかし返事が聞こえることはなく、随分と静まり返っていた。
マズい事になった。
窓から射し込む夕陽がいやに焦燥感を煽り立てた。
「つかテメェはなんでここに居た」
神楽は跳び箱の上で膝を抱えると、つまらなさそうな顔でこちらを見た。
「……ちょっと色々あったアル」
「その色々を聞いてんだ」
土方はそう言うと、戸に背中をつけたままその場にしゃがみ込んだ。
「ケータイも圏外か……」
ポケットに突っ込まれているケータイを取り出すも、分厚い戸のせいか電波が遮断されていた。ついでに時刻を見れば後三十分で最終下校時刻の十八時半を迎えるのだ。いつもならその時間ギリギリまで風紀委員が見廻りをしているのだが――――当の本人は残念ながらここに閉じ込められているのだ。
「下手すりゃ、朝まで誰にも見つけられねェのかもな」
「マジでか!」
そう言って驚いた神楽は、またしても大きなクシャミをした。どうやら寒いらしい。六月とは言え、一日中陽の射さないこの倉庫は随分と冷んやりしていた。ましてや夏服だ。土方も少々寒さを感じている程であった。
「なぁ、お前」
神楽はそう言って跳び箱から下りて土方に近付くと、突然腕を引っ張り立ち上がらせたのだった。
「温まることしよ?」
神楽の手が土方の腕に微かな温もりを与えている。
神楽の言う“温まること”とは一体何か。そこで頭に浮かんだのは、こうして肌と肌とを引っ付ける行為だ。しかし土方の頭に浮かんだのはそんな単純なものではなかった。小学生ではないのだからその……色々と知識は豊富だ。
アホか。
土方はよからぬ考えを掻き消すように頭を振った。
「ほら、こっちアル」
しかし神楽は意味ありげにそう言って土方の腕を引っ張った。そして奥にあるマットまで連れてくると、向かい合ってしゃがまされた。かと思うと、神楽は両手の拳をマットにつけたのだった。
「おぅ! 十四の海! 相撲取るアル!」
「は? ちょっと待て! 体力消耗させて……オィィイ!」
あっと言う間に神楽に腰を掴まれた土方は、マットの上に叩き込まれて体の側面を打った。痛い。しかし痛いと言う感覚よりも温かいと言う感覚が上回り、自分の体に引っ付いたまま共に倒れている神楽を土方は紅い頬で見た。
「……離しやがれ」
本当は温かいのだから神楽に離れて欲しくはない。だが、そうもいかない。抱き締めたり抱き締められたりと、こんな密室では簡単に土方の青さを突っつくのだ。ましてや今日は神楽を女子として意識している。夏服から透けた下着や柔らかそうな胸。どれもこれも嫌いではないのだ。
近藤さんもこれにやられたか?
触れている神楽の素肌は柔らかく、心臓を心地よく跳ねさせるのだ。神楽も神楽で温かいからなのか、なかなか離れようとしない。このままだと突き放す理由がなくなってしまうような気がした。
土方は間近に迫る神楽の顔に目を閉じた。
「離せ」
そこでようやく神楽は土方を離して、こちらに背を向けマットの上に体を起こした。しかし見えている背中は、僅かにだが震えているように見えたのだった。
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