シンパシー

 

7.愛してる

 

ネオンの街はまだ眠らず、孤独につけ込む誘惑が渦巻いている。しかし銀時は一人暗い部屋へ戻るといつ振りだろう……孤独を味わった。お妙もいない、新八もいない、そして神楽もいない。いくらでも《まやかしの愛》や《安酒》でその身を温めることは出来るのだが、今夜は敢えてしなかった。一人で向き合いたかったのだ。冷たい布団へ入り、横になる。ふと隣を見るも、そこに眠る神楽の姿はもうない。調子の良い鼻歌が聞こえてくることもない。冷蔵庫のプリンが減ることもない。便座を下げ忘れて叱られることも、脱衣所をノックすることも、何もかももうないのだ。神楽はいない。銀ちゃん、とあの可憐な声で呼ばれることも――――――

「……ちゃん」

幻聴か。今、神楽の声が聞こえた気がした。ついにここまできちまったかと、銀時は情けなく笑った。

「私……」

いや、気のせいではない。ましてや幻聴でもない。銀時は体を起こすと声の聞こえる場所を探した。そして思い出す。新八がホテルで渡してきた受信機のことを。銀時は脱ぎ捨ててあったジャケットのポケットから受信機を取り出すと、まだ神楽の盗聴が継続していることを知ったのだった。マズい。今頃、神楽は土方のところだ。すぐにでも電源を切るべきだろう。そう思っている間にも神楽の声が聞こえて来る。

「初めはサイテーな奴だって思ったアル。依頼人を話も聞かず帰そうとするし、裸見るし。それも2回もアル!」

この話が自分のことであることは銀時にも分かった。場所はどこだ? テレビでもついているのかやけに騒がしい。だが、ライターで煙草に火をつける音が聞こえた。そして焦る。神楽はやはり土方の元に居るのだと。

「でも、今までの奴らと違って……何も求めてこなかったネ。だから信頼出来るって思ったアル」

神楽がまさかそんなふうに思っていたなど、考えてもみなかった。そして同時に神楽がどんな思いで自分へと辿り着いたのかを知ったのだ。

「私の勘は正しかったアル。銀ちゃんは私を助けに来てくれたネ。嬉しかった」

沖田にいいようにおとり捜査に使われた時のことだろう。懐かしく感じた。そして神楽への愛しさがもう隠せない事に気がついた。受信機の電源を切ることが出来ないのだ。

「嬉しかったけど、そんな時に知ったアル。綺麗な恋人がいるって」

神楽は語った。お妙をひと目見て《私じゃ無理》だと悟ったと。一人で浮かれて舞い上がっていた自分がとんでもない道化だったと。銀時にはちゃんと愛する人が居て、自分はただの依頼人。その事実をすっかり受け止め切れなくなっていたのだと。

「でも、ダメだって……分かってるのに……どんどん……銀ちゃんのこと……好きになるアル……」

銀時の心が震えた。まさか神楽が自分へと好意を向け、更に気づかれまいとひた隠しにしていたなど微塵も感じていなかったのだ。

「隣で眠ってる銀ちゃんを見る度に胸が苦しかった。少しも興味を引けない自分が惨めで、ちっぽけで、馬鹿みたいに思えたネ」

銀時は呟いた。

「……馬鹿は俺だ」

神楽がそんな気持ちでいることも知らずに中途半端に甘え、そして手放した。愛しくて愛しくて堪らないと言うのに。そうして今一人部屋で神楽の声を盗み聞いているだけなのだ。それで良いのか。銀時は受信機の電源を落とすと、沖田から前もって聞いていた土方の自宅を目指した。

住所の場所へ着けば、そこそこ良いマンションで、神楽が嫁にもらわれてもそう悪い暮らしではない事が窺えた。エレベーターで部屋まで向かう。そして呼び鈴を鳴らし、ドアを叩くと半裸の土方がこめかみに青筋を浮かべて出てきたのだ。

「テメェ、俺に殺されに来たのか。何時だと思ってんだ」

しかし銀時は無視して部屋へ入り込むと神楽を探した。

「なんなんだ! テメェはよぉ!」

「神楽は? 神楽来てねぇのか」

神楽の姿はどこにもなかった。じゃあ神楽はどこへ向かったと言うのか。土方も神楽が姿を消したことを察したのか深刻な表情になった。

「なんで俺んちに居ると思ったんだ?」

土方はそう言って煙草を口に咥えた。

「聞いてねェのか。あいつから何も」

「何ってなんだよ」

土方が神楽へプロポーズをした日。神楽は何も言わず席から立つと土方へ口づけをした。涙を流しながら。そして一人で大丈夫だと言葉を残して立ち去っていたのだ。まさかそんなことがあったなど知らなかった。それなら神楽は一体どこに居るのか。銀時は部屋から飛び出ると再び受信機に電源を入れた。

「……どうしていつも女が泣かされるんだろうね。男ってのは身勝手で困ったもんだよ」

聞き慣れたばあさんの声。銀時は神楽の居場所をようやく見つけたのだ。アパートの1階にあるスナックお登勢だ。

「あいつ、なんで……」

てっきり土方の元へ行くものだと決め込んで、追いすがることもせずに神楽と別れた。それが神楽の幸せの為だと信じていたのだ。しかし今はそんなこと間違いであったと気付いたのだ。お登勢の言う通り、どこまでも身勝手だ。最後まで格好つかず、空回りして情けない。それでももう迷いはなかった。見慣れた飲み屋街を走り抜け、行きつけのコンビニを通り過ぎ、道路脇のゴミを飛び越えて銀時は走った。この薄汚れた欲望まみれの街にも本物の輝きを見つけることが出来たのだ。神楽を愛してる。今はそれだけを伝える為にただひたすら息を切らせて駆け抜けた。見慣れた看板とのれんが目に入った。あとはあのドアを開けるだけだ。呼吸も整えず銀時はドアを開けると、カランとチープなドアベルが鳴った。そして驚く店中の顔の中からたった一人を見つけ出した。

「神楽」

椅子から降りた神楽はこちらへゆっくりと近づいた。

「銀ちゃん? なんで?」

もう離さない。前のめりで両腕を伸ばし、神楽をしっかりと捕まえた。そして腕に閉じ込める。ずっとこうしたかった。きっとそれは出会った瞬間からこうしたっかたのだ。互いの心臓が共鳴し、鼓動が一つに重なった。冷やかす客の声やばあさんの呆れ顔。音程の外れているカラオケや誰かの咳込み。そんなものはもう意識に入らなかった。

「悪かった、神楽。ずっと居ろよ、居てくれ」

「だ、だって、姐御が……」

「もう良いんだよ」

銀時はお妙との間に何もなく終わったこと、そして自分の心が誰を求めているのか、全てに気付いたのだと話した。その言葉に神楽はようやく笑うと照れくさそうな表情を浮かべていた。その目はもう乾ききっていて、銀時を慈しむ眼差しで溢れている。

「ずっと一緒に居たいアル」

こうして数時間振りにアパートの部屋へ神楽が戻った。外階段を登り、ドアを開け、神楽と共に抱き合いもつれながら部屋へ雪崩込んだ。唇で唇を塞ぎ、絡まっていく。もはや二人に言葉など必要ないのだ。ずっとこうしたかった。互いの想いが今一つに重なったのだ。

銀時は神楽の熱い唇から離れると、頬、耳、首筋と唇を落としていった。そうして神楽のチャイナドレスのボタンを外すと露わになった胸へと顔を寄せた。神楽の手も伸びて来て銀時のシャツを脱がしに掛かる。この瞬間が銀時は堪らなく好きなのだ。女の細い指が肌に触れる数秒前。互いの服を脱がせて素肌をさらけ出すと二人は再び唇を重ねた。絡み合う舌。酸素を奪い合うような口付けに銀時は脳がクラクラとした。それでも足りない。体が神楽を欲している。他の誰でもなく神楽が欲しい。神楽を抱え、廊下の壁に押し付けると銀時は唇を離すことなく、神楽がまとう最後の一枚を足首まで落とした。そうして自分も暴発しそうな熱を神楽へ押し付けると――――――

「愛してる」

そう言って神楽の奥へと銀時は沈んでいった。

揺れる体。滴り落ちる愛情。それは止めどなく溢れ、二人の繋がりを永遠のものへと変える。身も心も混ざり合うことを望んでいた。それなのにいくら神楽をこの身に感じてもまだ足りない。欲が膨れ上がるのだ。

「愛してる、神楽、愛してる……」

繰り返す言葉と脈打つ鼓動。あとは神楽の口から溢れる嬌声だけが耳に入り込む。言葉で、体で。これほどまでに愛しさを感じたことはなかった。身が焦げるのが分かる。溶け合う熱は二人の舌先から奥の奥まで余すことなく占領していた。それだけにこの肉体が邪魔にすら感じてしまうのだ。

壁に手をつく神楽の背中に口づけをしながら、銀時は汗を床へ落としていた。ギシギシと不気味な音を立てる床板。それに併せて神楽の呼吸が乱れ、時折漏れるのだ。

「すきっ……ぎん、ちゃん、好き……」

やっぱり足りねぇ。銀時は心でそう漏らすと神楽の華奢な腰を掴み、体を大きく揺らした。全て染まって欲しいと神楽の深い所まで愛情を注ぎ込む。神楽の背中が仰け反って、銀時の熱に身悶えすると果てていった。それでも銀時は愛し足りない。

「神楽、神楽ぁ、愛してる」

何度も名前を呼び、愛してると囁く。これほどまでに深く交わっていると言うのに少しも満足しない。一生かかっても伝えきれない思いに銀時は再び神楽へと熱をぶつけた。優しく、甘く、体を揺らして。そうして二人は一晩中愛し合うと一つの布団で眠った。

 

翌日、窓から差し込む光で目覚めた銀時は隣で眠る神楽の存在にこれは《まやかしの愛》ではないと確信した。真実の愛であるのだと。一過性の夢でもない。幻でもない。確かなものなどないこの街で、唯一この神楽だけが現実であった。神楽とならこの街でもやっていける。そう思わせてくれるのだ。自堕落で欲塗れのこの街でも。

「神楽、起きろ。朝飯食おうぜ」

その声に神楽が薄っすらと目を開ける。

「まだ眠いアル。誰かさんのせいで寝不足ネ」

「じゃあ、もう少し寝てるか……」

「あっ、コラ! 待ってヨ、ちょっと……その手……銀ちゃん!」

すっかりと繋がった二人の心は少しの隙間もなく、もはや誰にも入り込む余地はないのだった。

 

2018/01/09